昭和五十六年六月九日 朝の御理解


御理解第七節「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中から出来た神でなし。天地は流行る事なし、流行る事なければ終わりもなし。天地日月の心になる事肝要なり。信心はせぬでもおかげはやってある。」


 高橋とみえの伝え「人間はものを知ると慢心をして人を見下す。三宝様は実が熟す程かがむ。三宝様を粗末にすれば目が潰れるというであろう。麦や米の名が三宝様でない。三宝様とは日天子、月天子、金神の事である。」
 教報がまいりました。最近金光大神御理解というのが、いわゆる原点のまま今度教典編纂がなりまして今度出るという事でございますが、もうその言葉を解する事が大変至難で分からないなりに出すという事ですね。だから分からないなりに出したっちゃそげん何もなるまいと思うですけれども、結局分からないのです。こりゃ御神徳による外あない。教祖の神様がどういうような思いでこういう言葉をお使いになったかというような事の意味が分からないね。そういう御教えが沢山あるそうで沢山教典が又、聖書風な立派なものが出来るという事ですけれども、訳の分からないものを読んどっても仕方が無いと思うのですけれども。
 今聞いて頂いた今のこの御理解七節に天地日月の心になる事肝要であるとね。それにこのこれは高橋とみえという先生が教祖様に頂かれたものをそのまま写しておられる。高橋とみえ伝えのまあ御理解なんです。
 教祖の神様のお言葉の中にあるのも沢山出てくる、いわゆる月天日、日天子金神といったような言葉が出てくるんです。ここではこの今までの御理解にもございますように、三宝様踏むな、三宝様踏むと目が潰れるとね。三宝様とはここで説明がしてある。米麦の事ではないと、月天子、日天子金神の事であると説明がしてある。ところがその事が分からない。ところが合楽で御理解を頂いておる人達はこういう、云うなら難解な御理解を頂いても意味が分かるのじゃないかと思うんですね。例えば「三宝様踏むな、三宝様踏むと目が潰れる」と云うならば宝、仏教では三つの宝の事を仏法僧と申します。まあ仏教のそういうような言葉を教祖様も知っておられて使われた言葉であろうと思うし、又は実際に米麦穀物の事をさしてお話しになったのだろうと思うのですけれども、結局宝のように大切な物という事である。
 仏教でいうところの仏法僧、仏様を大切にしなければならない。その教えを大切にしなければならない。その教えを説いて下さる云うなら僧侶ですね、仏法僧です。
 金光教でいうなら先生です。を、これが仏教の三つの宝だとこいうふうに云われます。ですから、その三宝様という事に説明がこの教祖の御理解に出ておりますけれども、なら三宝様とは月天子、日天子金神の事であると説明してある。ですから合楽で御理解を頂きよるもんな成る程、月天子日天子いわゆる天地金乃神だと私は思うですね。
 そしたなら今日の御理解にあるように天地日月の心になる事肝要だという事を合楽でいつも頂いておるわけですね。決して穀物を踏みつけると目が潰れるというがと言うがね。云うなら信心に大切なもの、そりゃ第一ここでは心をとこういう訳ですけれども、起きてくる一切の問題、それが難儀の要素の場合もありゃ、善い事悪い事さまざまですけれども、それ一切がいわゆる月天子日天子金神の働きによるものだなあと頂く訳でしょうが、合楽では。だからここんところが意味が分かるからこりゃ合楽で御理解をつけなきゃ、実際は役に立たない教典が沢山出来るんじゃないかと思います。それは勿論大変教祖の神様の心に少しでも適わない事があってはならないから、説明が想像はついてもそれに説明はつけないというのが本部の言い訳らしいですね。いわゆる私共が頭脳で考えてこれはこういう事だろうというてその理解づけるのではまあ教祖のお言葉を冒読するような事になっちゃならんというまあ心使いからであろうと思いますけれども、私は思うんですけれどもね。 教祖様のみ教え御理解というのはもう絶対お徳につながる、おかげにつながる頂き方じゃなければ駄目だと思う。だから合楽の場合はもう絶対おかげにつながる。
 それをそのまま頂けばそして行ずれば必ずお徳につながるという説き方しかしません合楽では。 ならこの高橋とみえ先生が頂いとられるこのみ教えを今聞いて頂いたようなですね。 三宝様踏むなと、そして三宝様とは穀物だけの事じゃないぞ、月天子日天子金神の事である。なら月天子日天子金神の事とはどういう事かというともう全く分からんのです。どういう事なのか。
 それで合楽では例えば大切なもの、宝のように大切なものを踏むなという事である。ね、勿論仏法僧も大切であろう。自分の心もなおさら心一つですべてを創るという程しですから大切でありましょうけれども、次の大切なものを仏法僧であり、心を大切にしておる生き方を身につけておきませんと、起きてくる問題の全てを神愛として受ける事が出来ないのです。月天子日天子金神の働きそのものをですね、踏み付けるような事をすると目が潰れて分からんようになってしまうのです。
 今度マル少のリーダー達をまあ全国集めて相当金がかかると思うですけれども、ここからも三名まいりました。桜井武志君とそれから恵介君と原君と三人でまいりました。そして何日間か講習を受けて来た訳なんですけれども、帰って話しとります事が何かしらんもの足りなかったと、君たちがこうやってリーダーとしてマル少を教育していくとに神様神様おかげおかげでといったような事はいうてはいけないよと案に言われるそうですね。
 子供に神様とかおかげとか云うたらかえって離れてしまう。だから子供の好きな遊戯をしたり子供の好きな云うなら子供に合うた話をしていかねばいけない。神様の働きなどというような事はこりゃもう前からそうでしたけれども、今度三人の者が行っていわゆるもの足りないものを感じたと。
 合楽ではそれこそマル少に入ったが最後いわば信心を教える。昨日そこの中村の合楽食堂のお母さんが出てまいりましてから、久留米の孫が今年から三年生ですからマル少に入っている。そして帰ってからその合楽でお話しを頂いてきた事を家でノートしよる。どげなこつ書きよるじゃろうかち思うちから見たげなりゃ、太陽の子オレンジ色の・・・二、三日前の御理解をそのままずうっとノートしよったのを見てからたまがってしまいましたというお届けがあった。
 そういう難しい話でもマル少の者にしているのです合楽はね。だからそういうな事ではいけないね。云うならばおかげの頂けれる、お徳の頂けれる、力の受けられる云うならば天地金乃神の働き、いわゆる月天子日天子金神の働きをです踏み付けるような事をするから目が潰れる、云うならば肉眼でしか見らんから例えば本部でマル少に教えられたように、神様のそのまあ働きとかおかげとかというような事は言わず、言うてはならないというような話を聞いて来てまあもの足りなかったと。
 ところが今度おかげ頂いてきた事は、まいりましてからも、帰りがけにも金光様にお届けをした時に、二回ながら合楽マル少何かという二回ともお書下げを頂いて来た事が大変おかげ頂いたというふうに言っております。だからこちらはやはり生きた信心実習のようなつもりで行っとりますから、生きた神様の働きがやっぱりお書き下げの御神米なんかにも現れてくるというふうに思いますが、例えばそういう事を言うてはならんという子供達が、もしそれをなら頂いても有り難いとも何とも思わないでしょう。
 ところが合楽のマル少のリーダー達はお書き下げを頂いたという事が非常に有り難かったとして頂きとめてきているわけ。それだけの相違がです、ありますわけですが、合楽で日頃御理解を頂いている人達は、いわゆる月天子日天子の事でも天地金乃神の働きとしね、成る程、教祖様がその働きそのものを踏み付けたら目が潰れるとおっしゃったのは、神様の働きが分からんごつなるち言うこつね。
 なら合楽の場合そりゃ分かるか分からんかしらんけれども、やっぱ一様に教えを頂くのである。それで一生懸命御祈念なんかもするのである。そしてそれがおかげを頂いと証拠には、年々マル少育ちがお道の教師を志しとるちいう事だけでも素晴らしいでしょうが。 人が育たんという事が盛んに教団でも言われますけれども、そういう肝心要の子供の時から育てるといったような働きを云うなら肉眼で人間心をもってするとです、成る程子供に神様なんて云うても離れていくと、そんな話は出来るだけせん方がよいというような事にはなって来ない。
 分かろうが分かるまいが神様の有り難さを、おかげである事を御祈念をする味わい、喜びというものを子供の時から教えていくという合楽の生き方とは大変相反しておりますけれども、どちらがどうとも言えませんけれども、合楽ではそれで実を上げていっておる訳です。マル少出の人達が皆あの道の教師を志すといったようなものが、そんな小さい時から育てられてきておる訳だと私は思います。
 今日は余談になりましたけども、日頃頂いておるように、もう一切が日天子、月天子金神の働きなのですからね。その働きそのものを大事にするという事が合楽では天地日月の心になる事肝要だというふうに申します。
 天の心とは限りなく美しゅうなる事。地の心とは、それこそ受けて受けて黙って受けていく心である。日月の心とは、もうそれこそ時計の針の進みのように一分一厘間違いのないような、云うならば実意な生き方を身につけていこうと言うのである。
 そういう、云うなら信心を身につけていく稽古をしていくところからです、天地日月の心も体得する事が出来る。
 天地がままになって下さるようなね、例えば太陽の子オレンジ色といったような話をね。一昨日から昨日にかけて聞いておりますが、丁度この御理解の出た朝、久留米の稲垣さんは、会社の方から旅行であった。それでその朝バスに乗られたらバスのあのバスガールの方が「皆さんおはよう御座います。今日は何色で目が覚めましたか」ちおっしゃったげな。皆さんどうですか。今朝は何色で目が覚めましたか。何色もなかったという人も多かったそうですけれども、私は青色で目が覚めた、赤色で目が覚めたという人があったそうです。稲垣さんは、それこそオレンジ色で目が覚めたそうです。そしたらそのバスの車掌さんが言う事に、実は私も今日はオレンジ色で目が覚めたち言わっしゃったげな。そして帰って昨日、一昨日から昨日の御理解を頂いてみてです、本当に合楽につながっておる事を実感したというお届けが昨日稲垣さんからありました。そういうなら天地金乃神の働きを合楽の上にはとりわけ頂きに頂き通しに久留米の高田さんが頂いておられるように、それこそ太陽が一時合楽の上で停止される程しの働き、しかもこの辺一面はオレンジ色に輝いておったというような御神眼をその御理解を頂く前に頂いておられた。御祈念の時に頂いておられたという事で御座いましたがです。そういう働きが受けられるのも私はいよいよ月天子、日天子金神の働きをそのままに表していくおかげを頂いておるから、云うならば三宝様を踏むなという天地金乃神様の働きそのものを粗末にするなという生き方、そういう働きが天地とのいよいよ交流ともなる元になっておるというふうに思います。 どうぞ。